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土屋伊豆夫
土屋伊豆夫『ガンアクション・雑記』

現代、特殊な映像美術表現は、コンピューターを活用した手法が多くなっている。いわゆる特撮的表現手法は、往年と比較にならない。時代の変換と共に、手仕事中心のアナログ的処理から電子的処理へと映像美術の大小各種の表現手法は、迅速に改善処理されていった。ともすると、手仕事中心の仕事等は、忘れ去られる運命にある。
 「或る時は片目の運転手、また或る時は曲馬団の魔術師、或る時は直感の老紳士・・・・・しかしその実体は?!」との長いセリフ。そしていつ発射されるか解らぬコルト拳銃。次の瞬間、バァーン!!・・・・
 戦後、1946年代、チャンバラは御法度とGHQ。刀をコルト拳銃に代えてのアクション映画の登場。多羅尾伴内シリーズ。時代劇の名優片岡千恵蔵主演作品。後半見事なコルト発射アクションで悪人どもを退治。名セリフ事件を暴き解決へ。小生、当時よく場末の安い入場料の映画館で、息をのんで鑑賞した学生時代。まさか後年この様なガンアクションで苦労しようとは夢にも思わなかった。

1955年代、裕次郎、旭、錠、英明、桂一郎等々ダイヤモンドライン。無国籍アクション映画全盛の日活撮影所美術課小道具担当では、このアクション映画に欠かせないコルト拳銃の各種調達整備には、ことの他苦慮していた。あくまでも自社で製作加工した。
 当初、コルト、スミス&ウエッソンリボルバー等の拳銃は、各銃に似せた木型製作した仕上がり良好なものだ。但しメカニックなものは何もなく、アクションで構えるだけのもの。発射時やクローズアップ時は本物で、空砲手法で総て警視庁担当立会でなければ、撮影は不可能であった。その後、撮影用小道具の模倣拳銃とは言え各個総てナンバーリング登録制と相成った。やや使用製作が緩和されたものの、モデルガン等ボンドショップなどは未だなく、どう型に加工、どう操作メカを・・・・と似て否なる映像表現をすべきか?!無き頭脳を駆使、空廻りするばかりであった。

その頃、各種造形加工の為キューポラの街、川口から、鋳物加工職人のK氏が美術課に採用された。早速木製拳銃から鋳物への製作加工を発注。見事な出来栄えであった。先ず一件落着。手に持った重量感が木製とは雲泥の差。しかし未だ手探り状態、暗中模索だった。とにかく拳銃のカラクリを研究。その手順と同等の装置を作り、又、発砲は花火の丸玉屋に頼んで、特別に作ってもらった。実はこの花火の縮小加工と配線が一番困難な問題であった。当初は単発で本番一回如に変えねばならなかった。それではアカンと、ロータリーのカムとトリガーを工夫、拳銃も半割鋳物加工して、すぐに内部を点検出来る様にした。連射可能になったもののその火薬、配線、電池等の点検と準備にはかなりの時間を要した。迫力ある警官隊が、アウトローを追い詰める大連射は劇中のポイントとなったが、オットドッコイ・・・・このガンアクション必ずと言っていい位「NG」も連発になって、鬼監督の大目玉をもらってしまう結果が多かった。原因は電池の接触不良、発火火薬の間隔不備とか色々と改善を要したが、独自の工夫手造りでは素晴らしい仕上がりで、ダイヤモンドラインの役者のガンプレイを支え続けたのだ

よりリアルにと、次なる芸当は「弾着」操作であった。始めは時代劇のチャンバラよろしく、「やられた!」と倒れる動作でOKだったが、ハリウッド西部劇映画の影響もあって、役者の衣服内部への火薬の仕込みで、弾痕を表現。おまけに血汐が飛び散る血玉細工迄する様になった。弾着のアクション、タイミングは高度な積み重ねの技術を必要として、始めはなかなか合わず「NG」の連発。小道具係、電飾係、衣裳係等常に右往左往せざるを得なかった。準備、段取りもさることながら、失敗なしの「本番」一発勝負の集中力は半端じゃなかった。これらの成功でガンアクションが一層迫力満点の画像を練りあげていった。

さて、シネマスコープと称する横長画面は、撮影機材が総て新機種の勝れものであったが、当初、標準レンズ一本での撮影だった。丁度、事件記者ものシリーズの作品を製作。ドラマの核心に触れるところで、犯人の発射銃弾と他の事件の弾丸の線条痕を比較して検証すると言うシーンのクローズアップ画面あった。標準レンズは1m位迄の寄りしか出来ず、実物の弾丸を撮影すると、画面は蚕の卵の如きものでしかなかった。そこで対物のものの方を巨大化するしか方法はなかった。クローズアップレンズ調達はかなり先の由。比較顕微鏡で見た画面構成で、2つの弾丸の横についた発射時、筒との回転摩擦の痕を3尺丸の筒状ベニヤ板木工加工の胴に、当時あるだけの材料で何とか作った。樹脂系材料、発砲スチロール等皆無。経師の紙、石膏、泥絵の具位で他は木材。大きな円柱を2つに分け一軸でガリガリと擦り音のする何とも表現のしようもないものを回転させた。ところが、どう撮影したの?と質問され当惑したが、作品は見事大成功だった。現在ではかなり稚拙な手仕事であったが、映画美術のその時代々々の本来の仕事として、集中出来た事は幸せだった。

創造と機転と実行は、往時も現在も映画美術に求められる命題だと考える。  ー以上ー

 

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