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感染列島

金勝 浩一

 この原稿を書いているとテレビから豚インフルエンザのニュースが感染者の人数を刻々と伝えている。
 
 2007年、新藤組のロケで、長期広島にいた私は撮影終了後、すぐ「感染列島」の準備をしなければならなかった。新しいタイプのパニック映画だった。最近は原作物が多い中、オリジナルの脚本である。
 原作があると、ついそれをベースに考えていけますが、医学的、災害的観点、危機管理体制など、今まで起こったことのない、でも、起こったらどうなるかをシミュレーションしながら、構築していく必要がありました。目に見えないウィルスの怖さをどう表現するのか?国内で感染が広がった場合、治療方法、病院や国の対応、荒廃した日本はどうなるのか、海外メディアの対応、死体の処理など、演出、美術、装飾、メイクなどの視点から、厚生労働省、医療機関、役所関係を含め調査していきました。CGにもお世話になるし、色々な方と打合せ、取材を重ねました。気がつけば名刺入れが2冊にもなっていました。
 スタッフ編成も日本分、海外分、現場など美術装飾合わせても20人弱はいました。そしてすぐ、海外のロケハンからはじめました。架空ウィルスの感染源を探しに。プロダクション社長、ラインプロデューサー、通訳と私の4名でフィリピンに向かいました。
 
 タイやインドなど東南アジア方面も考えていましたが、撮影条件の結果から、7,000近くの島々で成り立っている国、フィリピンにしました。スラム貧民街や文化遺産の町並も見つつ、最終的にマニラから飛行機で2時間くらいの所、観光地化されていない「ネグロス島」での撮影を考えていきました。「ミンダナオ島」などイメージでしたが、治安の悪さからやめました。  それでも、島内は銃を持っている民間人もいる微妙な空気のあるところも行きました。日本に比べ、たくさんの子供たちと出会いました。山奥、海沿いから子供たちが登場し、日本人に明るい笑顔を向けてきました。貧しい中にも明るい笑顔に心うたれます。

 感染の発生ルート、船、海老養殖場、冷凍工場、海の墓、集落の炎上シーンなどネグロス島を中心に決め、冒頭のシーンのみマニラから陸路10時間の世界遺産にもなっている棚田で有名な「バナウェ」という所にしました。日本人はあまり足を踏み入らないような地域のようです。フランスの観光客が少人数いたぐらい。ロケハンは車からおりてさらに2時間くらい山歩きをして探したように思います。
 集落シーンの死鶏はすべて日本から空輸した作り物です。100羽位造ったでしょうか・・。「蝙蝠」も多数作りました。

 フィリピンロケは美術監督協会員の中川理仁氏にお願いしました。フィリピンのアートディレクター、衣装、装飾、小道具担当も現地スタッフが参加しての準備となりました。建込も現地の人間を使いながら、日本人の気持ちも通じてスムーズに進みました。
 「海老養殖場」はマングローブを伐採して造成した設定でしたので、海岸付近での広大な建込作業となりました。水を貯め、水路を作り、40間近くコンクリート製のようにみえる柵を作り囲いました。「マングローブ」は本物を切るわけにいかず、作り物で対応しました。重機がないので、地元の手作業で掘り起こしました。現地子供達も参加。


エビ養殖場

感染後病院

 「海老」は近くの市場で日本の大手水産会社の養殖物を使いました。美味。「汚染された土壌」の表現は青っぽい感じを出すために万年筆のインクを使いました。撮影時、その土壌を手でつかんでのお芝居となり、あとで手の汚れがなかなか落ちないのに恐縮しました。
「炎上の家」では、屋根の材料にバナナやヤシの葉を使いました・・・短期間で手慣れたものです。墓、十字架やマリア像、豚の頭部、家畜の骨などを利用し、即席で作ったような墓標をたくさん作り、海沿いを埋めました。
「洞窟」 、「冷凍工場」の撮影は、移動して3時間前後の場所で、陸路での長旅撮影になりました。冷凍工場は、実は病院を加工して撮影にのぞんでいます。病院の中に「教会」が病棟に囲われていい位置に建っていてよかったです。発想が広がりました。フィリピンは道路の舗装がよくなく、長時間での車移動は、結構堪えました。

 発砲、弾着もやりました。日本の仕掛けで煙が多いのとは違い、音も含めていいですね。火薬の種類なんでしょうね。迫力が違います。
「船上」の飾りは、実際の大型漁船を借り、停泊中に、家畜や食糧など飾り込み、そのあと港付近を運航してもらい撮影しました。雑多な感じがよくでてました。
「食堂」は探すのに苦労しました。庶民的なところをさがしていたのですが、いい感じの店がなくて・・・。店頭には、大皿にいろいろな種類の惣菜を陳列してもらいました。お米が主食の国だけに、味付は日本人の口にも合いました。野良犬はオーデション犬を汚しました。

 冒頭のWHO医療チームの撮影は、バナウェの集落ですが、実際に住んでいる所でもありました。民芸品売りと水田で生計を立てている為、お土産屋が点々と家と家の間にあり、撮影の為に商売を休んでもらい、それらを隠していきました。生きている家畜、豚、鶏は数を増やし、死骸を日本の作り物で撮影しました。
スモーク煙は撮影用のマシーンがないので、焚き木で対応しました。
オープンセットの撤去は、材料が貴重のようでしたので、地元の人間が置いていっての希望。撮影が終わった途端、あっという間に地元の人たちで解体され、みごとに、元の集落に戻っていきました。


小養鶏場プラン

 日本編ですが、「養鶏場」は実際の養鶏場もロケハンしましたが、フィクションの映画とはいえ、鶏インフルエンザ発生の設定でお借りするわけもいかず、廃養鶏場や養豚場等の候補地から造ることを早々考えていましたが、近代的な規模の大きな養鶏場がいいと監督の希望もあり、千葉の広大な採石場跡地にオープンセットを組みました。3棟造り、サイロやタンク類は古いものを買い取り改造して設置しました。消毒は業者に来ていただき、消毒機械を持ち込んで「出演」もしていただきました。
鶏は売り物にならないものを買いとり、生きているシーンで使用し、鶏舎ゲージに200羽程度を入れ、消毒シーンの死んだ鶏は作り物を使いました。消毒した後の消石灰で覆われた真っ白な鶏舎内は神秘的、幻想的なものになりました。
鶏の死骸を納める巨大な穴も重機で掘り、細菌が土にしみこまないように、本物の特殊なシートを敷き詰めました。ほかにも実際に起きた場合の想定のことを調べていたおかげで、飾り物は本物を使った撮影ができました。 

 公園のシーンですが、代々木公園の設定であるものの、当然許可もおりませんので、巨大な穴の掘れる場所を探し、千葉の造成地に適当な土地を見つけました。カメラ前に人間の納体袋を多数置き、死体のあんこを入れて、奥はビル群含め合成撮影となりました。    
パニックに陥っている町並は、ある商店街をまるごと貸していただき、路地やシャッターにスプレーで落書きし、車両を炎上させ、スタントもやりました。この場所探しも難航しました。オープンセットも考えましたが、フィルムコミッションや役場の方々のご協力で無理難題な撮影をさせていただけました。あとでシャッターの落書き消しはたいへんでしたが・・・。
「渋滞の場面」は早いうちから、車付きでエキストラ募集告知していて、100台以上は集まり臨場感のある場面が撮れましたし、大型スーパーのパニックシーンも商品を一部買い占めて撮影しました。

 長野のシーンは撮影時期の問題で、4月中旬に決まっていました。さすがにその頃は長野でも雪は残ってないだろうということもあり、北へ向かい稚内までロケハンに行き、撮影を決めました。ところが撮影に行くと雪がない!溶けてました・・・。エコスノーや泡をも考えましたが間に合わず、地元の方の協力で、分量わからずまま、「とりあえずダンプ100台分おねがいします!」と言っている自分がいました。残雪を山のほうから、運んでもらいました。「一本の木」の周辺、「学校」表のシーンそれぞれに雪を敷き詰めました。

 メインとなる「大きな総合病院」ですが、病院の外観を「隔離病院の設
定」にしなくてはいけなかったり、ロビーや処置室、ICU,長い廊下、など多数の感染した患者を見せなければならなかったので、営業している病院での貸切は不可能だということもあり、セット案、ロケ案を並行して考えていました。製作部の仕事始めは日本全国、この病院探しから始まったようなものでした。せめて、最悪の場合、表外観や、ロビーはロケ、残りはセットと、考えていたのですが、ドキュメンタリータッチにしたいという監督の意向と、長回しやワンカットなどカメラマンが考えていて、芝居の流れや、リアルな雰囲気をもちこむスタジオセット撮影は限界かと、不安に思っていた矢先に、朗報が入りました。新潟で空いた総合病院を見つけたとの報告。もう探し始めて2,3ヶ月たっていましたので、諦めかけていたときでした。すぐ、現地に向かいました。
古い病院でしたが、規模の大きい病院で、迷路のような院内に何度も迷いました。大がかりな加工になると思いました。撮影期日まで残り少なかったこともあり、このへんで結論をと思っていました。勝算あるなと思い、その日は帰り、すぐさまプランを考えました。
いちばん不安だったのが医療器具がまったくないことです。幸い電気は切られてなく、まだ生きていました。装飾部からは当然、泣きがはいりました。間に合うか?タイアップできるか?セットにしても同じように一から物を用意し、運ばなければいけない。あちこちに器具を運ぶより、一か所で撮影することのほうが効率がいいという利点もあると納得してもらいました。

封鎖された養鶏場 ICUにした音楽室



 医療機器の数や、ベットの数、医療協力会社の数もおそらくこんなに集めたのは、日本映画始って以来、初めてなのではないかと思います。ICUや、処置室は機材の多い場所ですから大変でした。よく集まったものと思います。装飾部の努力の成果です。
大変な工事になりました。古いので、新しく見せるため、外壁、内装の全塗装、外装から、ロビー、ICUをさらに壁をぶちぬき、15床にし、間仕切の木工事、サイン看板、駐車場改造、救急センター入口新設置など内装工事全般まで、結局セットが組めるぐらいの予算が掛かってしまいました。
あとで聞いた実話ですが、俳優陣がスタジオではなく実際の病院で芝居が出来て気持ちが高揚したとのこと・・・。医療指導のもと、看護師や、患者役が早い段階からリハーサルが出来たことも撮影成功の一因かもしれません。

 忘れてならないのは、防護服です。こういう細菌物の映画は「アウトブレイク」など海外の映画などみて参考にしていましたが、防護服、マスクを着用して芝居をすると顔が見えなくなるので、どうするかが問題になるのです。
フルフェイスでのガラス、アクリルマスク作りも考えたのですが、リアリティがないので本物を使いました。どうしても顔の表情をねらいたいときは外して撮影しました。公開時は賛否両論になってしまいましたが・・・。
エキストラの防護服や特殊なマスクなど、使いまわしも考えましたが、消耗品であることと、何回か着てもらいは、捨てました。大量に購入したので予算がかかりました。
平和の像はオリジナルのデザインです。像の下だけコンクリートの土台のみ作り、そこに供物、花、人形、生前の写真などを飾り、上部の平和の像だけはCGで合成しました。

 思い出すのが、私はこの撮影中に自動車事故に巻き込まれました。2人が死亡し、私だけ生き延びました。事故直後、わけもわからず救急、警察、レスキュー隊を呼んでいる自分がいました。当たり所が悪ければ、即死、焼死、下半身不随、になるやものの事故に、軽いむち打ちと打撲ですみました。「作品を完成させてから考えろ」といわんばかり、生かされたような気がしました。私の車には突っ込んできた自動車の2人の携帯電話が入っていました。夜中未明の事故でした。私はすぐ救急病院に運ばれ、一睡もできず、次の撮影現場にコルセットをしている自分がいた。そこで事故のニュースが流れていました。「3人死傷」。2人の名前もこの時わかりました。
「感染で死ぬ」ということ「交通事故で死ぬ」ということは紙一重なのではなかろうかと思います。
生きているからですね。こんなこと考えられるのは・・。

フィリピンに建てた燃やす家

■画像提供 金勝浩一・中川理仁                   

 


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